筑豊本線と災害代行バス・1 - 若戸渡船・前編 - /青春18平成29年夏紀行・最終日


青春18平成29年夏紀行」も最後となりました。


とやってきて、9月(旅行時)に入り最終章です。

 最終日・筑豊本線と災害代行バス

さあ、最後の旅に出たいと思います。

まずは筑豊本線を訪ねてみます。

筑豊本線はもともと筑豊炭田の石炭を運送するために敷設されました。石炭産業最盛期は多くの支線を持ち、石炭を満載した列車がひっきりなしに若松港へ向かってました。やがてエネルギーが石炭から石油に代わると、炭鉱も閉山し支線もほとんどが廃止されました。
一方、昭和43年に篠栗線笹栗~桂川間が開通し、また同時期に黒崎~仲間間の貨物短絡線に旅客列車が走るようになりました。筑豊本線から福岡・北九州まで直通列車が走るようになると、両百万都市に近い住宅地として沿線人口が増加します。
今では桂川~折尾間はフリークエンシー輸送を行う大都市の郊外電車です。

一方、福岡・北九州への輸送経路から外れた、両端の若松~折尾間と桂川~原田間は今も非電化のままです。

まずやってきたのは、早朝の戸畑駅。ここから北九州市営の若戸渡船で、筑豊本線の起点駅・若松にわたります。

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戸畑駅の改札を出ます。駅舎は線路の南側にあり、渡船が出る北側へはこの地下道を通ります。

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駅北口、正面に若戸大橋が見えています。

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正面の通りをまっすぐ歩き、

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5分少々で戸畑の渡船乗り場に到着します。

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待合室、自動券売機で乗船券を購入します。

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100円です。

安い!と思われるかもしれませんが・・・実は私、高校生の時に乗ったことがあり、その時の運賃20円だったと記憶してます。1980年代半ばのことですが。それから考えると30年で5倍の値上がりになります
もちろんこの30年間でそこまで大きな物価水準の変動はありません。元の運賃が安すぎたということでしょうか。
当時から若戸渡船の運賃の安さについては、時折ローカル番組で紹介されるほどでしたから。

それと30年前の高校生当時、自動券売機はありませんでした。船に乗る前、桟橋前に運賃を入れる箱が置いてあり、その中に10円玉2枚入れて船に乗ったと思います。その時は若松から渡船に乗り、戸畑まで来て、当時健在だった西鉄北九州市内電車で黒崎方面に向かいました。

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桟橋に出ます。
若松からの船が到着し、乗客が降りてきたところでした。

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船に乗ります。

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船室

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デッキ

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ここから上にも上がれるようです。

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屋上から見た、若戸大橋全景

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ほどなく出港、戸畑桟橋を離れていきます。


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